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シエナの歴史
 ランゴバルト王の役人ガスタルドがこの地に滞在した頃、街ができたとされている。
 ゲルマン民族がイタリアに攻め込んできたとき、人々がこの高台に逃げ込んだので、急激に人口が増え、街としての形が整った。
 最初はゲルマン民族の支配を受けていたが、次第にイタリア人が力を付けてきてルネサンス前(12世紀中頃)に独立してコムーネとなった。これはフィレンツェ等の他の都市とほぼ同じ形である。
 この当時、フィレンツェはローマ教皇派、シエナは皇帝派と分かれていたため二つの都市は争いが絶えなかった。
 13世紀に入ると、シエナ内の皇帝派の勢いが弱まり、ローマやフィレンツェとの関係も良くなる。交易による富も増え、この頃シエナの街は最盛期を迎える。ゴシック様式の壮麗な大聖堂もこの時期に建てられた。
 14世紀に入り、町中に現在も残る多くのパラッツォが整い、シモーネ・マルティーニなどの才能ある画家達になる祭壇画等も多く描かれた。アンブロージア・ロレンツェッティの「善政の寓意」もこの時期に描かれた。
 同時に飢饉やペストの流行等の不幸もかさなり、ミラノ家に支配されたりと政情はゆれ動いた。
コジモ1世
コジモ1世
 16世紀、皇帝カール5世とトスカーナ大公のコジモ1世の軍がシエナを襲い陥落する。こうしてシエナはトスカーナ大公国の一部に併合された。
サンタマリア・ディ・プロヴェンツァーノ教会 メディチ家が支配する間、シエナは繁栄する事はなかったが、メディチ家が断絶し、ハプスブルグ・ロレーヌ家が跡を次いだ後は、農業、商業がある程度復興したが、かっての反映はもはや望めなかった。一部バロックの教会(サンタマリア・ディ・プロヴェンツアーノ教会)が造られた程度である。
 やがて、イタリア統一に伴ってシエナも独立し、現在に到っている。