歴史タイトル

ローマ時代-2

2.ポエニ戦争
 当時地中海世界で最大の領土を誇っていたカルタゴがローマとカルタゴの間にあるシチリア島へ進出してきた。この島を制圧しイタリア半島も押さえれば、カルタゴの地中海制圧が完成する。それを恐れたローマはシチリアの王達の要請を受けて、対カルタゴに参戦する。これがその後百年以上続いたポエニ戦争の始まりである。
 第1次から第3次まで紀元前264年から146年まで断続的に戦われた。
 当時ローマは、陸軍が中心で軍船はたいして持っていなかったが、船を研究し、陸の戦いを参考にした新しいタイプの軍船を造ってカルタゴに応戦した。船に攻城戦兵器だった鈎付きの梯子を付け、接近戦に際し相手の船にこの兵器を倒して船をつなぎ敵の船に乗り込んでだ結果 、ティレニア海での海戦は連戦連勝を重ね、第1次ポエニ戦争に勝利した。
  第2次ポエニ戦争では、カルタゴの将軍ハンニバルがスペインから象を従えアルプスを越えて北イタリアに侵入、イタリア本土での戦争になった。
  陸戦には強いはずのローマはこの天才的将軍にに苦戦を強いられ、戦いは次々と負けていった。カルタゴの南西にあるヌミディアは強い騎兵軍団のいる国で、その騎兵がハンニバルの軍にいた。ハンニバルはこの騎兵軍団と象を巧みに使い、重装歩兵が中心だったローマ軍を蹴散らした。
 次々に敗戦するローマはハンニバルにイタリア中を荒らされたが、堅固だったローマだけは攻撃されずに残り、その年のシーズンを終わる。
 翌年、ハンニバルの戦法を研究したスキピオという若い執政官が同じ戦法で戦い、ついにハンニバルを倒した。
  第3次ポエニ戦争では、カルタゴの本土に進軍したローマ軍は再びハンニバルを破り、街を粉々になるまで破壊してその戦争は終わった。スキピオはこのポエニ戦役での功績を讃えられ、スキピオ・アフリカヌス(カルタゴは北アフリカにある)の称号を得た。