ヴェロッキオ工房に弟子入りしたレオナルドはすぐにその才能を開花させた。 彼は20才の時「サン・ルーカのギルド」(美術家の組合)に登録され一人立ちしている。
彼の筆になると記されている最初の作品は、彼が22才の時師匠のヴェロッキオと一緒に描いた「キリストの洗礼」である。
レオナルドは、キリストとヨハネの横に坐る二人の天使の内の一人を描いた。この絵がすでに師匠より優れていたので、以後ヴェロッキオは絵筆を取らなかったとヴァザーリは書いている。実際はそうではなかったが。
ヴェロッキオが、モデルに使ったフィレンツェの子供そっくりに描いたのに対して、レオナルドは、どこにもいないような高貴な雰囲気をたたえた天使を描いたので、そう言われたのである。この頃彼は、父と一緒にサン・フィレンツェ広場に住んでいたらしい。
フィレンツェ時代の作品で現存しているのは、
20才(?)のとき「受胎告知」(フィレンツェ・ウッフィーツィ)
21才のとき「1473年8月5日雪のサンタマリアの日」と書いていあるデッサン。
22才のとき「キリストの洗礼」(前述)の一部(フィレンツェ・ウッフィーツィ)
22〜26才のとき「ジナベラ・ベンチの肖像」 (ワシントン・ナショナルギャラリー)
26才のとき「カーネーションの聖母子」(ミュンヘン・アルテ・ピナコテーク)
26才のとき「聖ヒエロニムス」(ローマ・ヴァチカン・ピナコテーク)
29才のとき「東方三博士の礼拝」を受注(完成せず)(フィレンツェ・ウッフィーツィ)
ヴェロッキオ工房では、絵や彫刻の他に祭事の演出も引き受けていた。レオナルドはここでそんな演出も学び、ミラノ時代に色々な祭事の演出も手掛けている。
|