歴史タイトル

レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯

1.少年時代

 レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年4月15日22時30分、トスカーナ地方のヴィンチ村でセル・ピエロ・ダ・ヴィンチの子として生まれる。私生児だった。
 こんなに詳しく分かっているのは、彼の祖父、アントニオがその手記の中に記しているからである。
 母は、カテリーナというが、その後すぐに石灰製造職人のアカッタブリーガと結婚、父のセル・ピエロもアルビエラ・ディ・ジョヴァンニ・アマドーリと結婚する。
 この二つの結婚は相次いで行われており、子供が生まれたのにびっくりしたアントニオが画策したと推察される。カテリーナに関してはこれ以外ほとんど分かっていないが、美人であったと思われる。それはレオナルドが類い希な美男だったからだ。
 父、セル・ピエロの職業は公証人。今でいう弁護士と公認会計士を合わせたようなものらしい。この職業になるには大学を出る必要があり、嫡子でなければならない。ダ・ヴィンチが正妻の子供であったなら、きちんと学問を習わされ、大学まで行って、公証人になったであろう。彼の父に次に子供が生まれるのは20年後だからだ。
 セル・ピエロはレオナルドを可愛がっていたと思われるが、どのような職に就かせるか思い煩っていた。
 結婚した父はフィレンツェに移るが、レオナルドはヴィンチ村に残される。そこには祖父と叔父のフランチェスコがいた。このフランチェスコが幼少のレオナルドの面倒をみたようだ。彼がレオナルドに男色を教えたと考える人もいる。事実、レオナルドを好いていたことは確からしく、彼に財産の一部を残している。ちなみに父、セル・ピエロの財産をレオナルドは全く相続していない。他の実子たちがみんな持っていって、彼に渡すのを拒んだからだ。叔父のフランチェスコの遺産に関してもレオナルドは彼等と争っている。
 幼少の頃のレオナルドがどんな暮しをしていたかは分かっていない。何年かヴィンチ村で過ごした後、フィレンツェの父の元に引き取られた。セル・ピエロにはその後、子が生まれなかったからである。
 レオナルドの才能に気がついた父、セル・ピエロは14・5才頃(ハッキリとした年代は分からない)にヴェロッキオ工房に連れて行き、彼の工房に弟子入りさせている。