 |
ノルマン王宮 |
3世紀ほど続いた東ローマ帝国の支配の後、紀元827年にイスラム軍がシチリアに上陸し、以後イスラム教国に支配されます。進軍してきたときは冷酷残虐でしたが、彼等の支配は信教や文化の自由を認める寛容なものでした。948年に始まったイスラム支配はカルビト朝と呼ばれる王朝で1040年まで続きました。
その後、北からやってきたノルマン民族に支配されます。ノルマン・アルタビッラのルッジェーロ王がジブラルタル海峡を通り、シチリアに上陸、イスラム勢力を追い出してここに国を創ります。これがノルマン王朝。王はまたたくまに300以上あったモスクを全て破壊したといいます。そのためシチリアにはイスラム建築はまったく残っていない。
その息子のルッジェーロ2世は残っていたイスラム文化を積極的に取り入れ、シチリアを繁栄させます。 |
|
ノルマンとイスラムの文化の混じりあった独特のスタイルはこの時期に形成されました。実際、この頃の政治や社会を動かしていたのはイスラムの人々だったのです。
13世紀に入るとのルマン王朝の血を引く女王と神聖ローマ帝国の皇帝との結婚によりパレルモはその息子フリードリッヒ(フェデリーコ)が引き継ぎます。彼はイスラム文化も積極的に取り入れ、官僚制度も確立して先進的な政治を行った。ルネサンス一の賢帝と言われる。
しかし、彼の死後、シチリア王国は政情が不安定になり、スペインのアラゴン家の支配されてしまいます。18世紀にはフランスのサヴォイア家の支配に替わり、引き続いて属国的位置にとどまります。
支配はその後、ハプスブルグ家、ブルボン家へと変わり、19世紀に、ガリバルディが率いる赤シャツ隊がブルボン家を破り、シチリアは独立しました。 |