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オルヴィエートの歴史
 オルヴィエートの起源は、ローマよりも古いエトルリア時代である。エトルリア人は小高い丘の上に自分達の街を作る民族で、島のように盛り上がったここの地形は都市として格好の場所だった。その時代、ここはヴォルシニー・ヴェテレスという名で呼ばれた。
 やがて、紀元前3世紀ローマに支配され、次第に同化していったが、この頃街はあまりぱっとしなかったようだ。
 中世12世紀頃自治都市となり、13世紀にはかなり広い地域を領地として獲得している。現在の街の様相はこの頃決まったといってよい。
 ドゥオモの建築は1260年に始まる。市庁舎も建てられ、ポポロ宮殿もこの頃建てられた。この頃がオルヴィエートの最盛期である。
 しかし、14世紀の初めに教皇派(グェルフィ)と皇帝派(ギベリン)に分かれて街が争った結果 、武力衝突に発展し街は一部破壊、自治都市体制は崩壊した。教皇派のモナルデスキ家が勝ち残ったが、それもつかの間、ペストが猛威を振るって人口は半減し、街は衰退していった。
 その後、教皇領となり、そのまま1860年にイタリア王国に組み込まれ、ペルージャ郡の一部となり、20世紀初めにテルニ郡に移り、今に到っている。
 街の名所の一つになっている「サン・パトリツィオの井戸」はルネサンス時代のメディチ家の教皇、クレメンテ7世が掘らせたものである。
オルヴィエート市 オルヴィエート全体図

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