歴史タイトル

中世時代-3

3.イタリアの中世
 一方、イタリア国内では、他国の支配を受けながら、教皇を頂点とした新しい秩序を打ち立てつつ、東ローマ帝国等との地中海貿易を行い、少しづつ経済的な復興を果たしていった。
 ヨーロッパ大陸とは違い、温暖な気候を有するイタリアでは作物は人々の飢えを満たすのに十分な程採れたし(大陸内では穀物の収穫は播種量の2倍と効率が悪い)徐々に復興していった。
 政治形態としては、ローマ帝国(後に神聖ローマ帝国)を名乗る皇帝がイタリアを支配し、それぞれの地方に管理する封建領主を派遣した。彼等はその地の領主となり山城に住み農民を支配したが、同じ国の人間ではなかったから、その執政は冷酷なものでまったく人気はなかった。
 この中世の何百年かの中で少しづつ力を付けていったのは商人である。彼等はローマ時代からある都市に住まい、東方貿易や、織物業でヨーロッパ大陸と取引をし、富と武力を貯えだした。そうなると、何もせずに税金だけを徴集していくゲルマン人の王が邪魔になる。教皇の後ろ楯を得た都市からドイツ領主に抵抗するようになり、だんだんと独立していった。これがコムーネと言われる都市国家である。ミラノ、フィレンツェなどの都市国家は、富を集めルネッサンスの萌芽となった。
 ヨーロッパ大陸では、ノルマン人やサラセン人等の外敵から土地と農民を守った地方豪族が封建領主となり群雄割拠の時代を造ったが、イタリアでは商人が自らの経済力を使って都市国家を作り、イタリアの戦国時代を作った。
 例えば、フィレンツェは中世の時代、カノッサ城に居を構えイタリア中部一帯を治める大領主ボニファツィオに支配されていた。しかし彼の死後その妻だったベアトリーチェは、後に教皇にまでなった教皇の側近という後ろ楯を得て結婚はせず、その娘マチルデにトスカーナ領を譲った。彼女にも子はなく、その死後、商業都市として力をつけていたフィレンツェは独立した。
 このような商人による国作りが、この後のイタリアルネッサンスを進める原動力となったのである。


参考文献
「物語 イタリアの歴史」藤沢 道郎著 中公新書1045
「世界の歴史9 ヨーロッパ中世」鯖田 豊之著 河出文庫(河出書房新社)