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フィレンツェイメージ

リパブリック広場

 ルネッサンス(イタリア語ではリナシメント)発祥の地 ゲーテもスタンダールも賞賛した花の都である。
 美術の世界で最高の栄誉を今だに得ている2大巨匠ミケランジェロ・ブオナッローティとレオナルド・ダ・ヴィンチを生んだ街でもある。
 ウッフィーツィ美術館にはレオナルドの、アッカデミア美術館やメディチ家廟にはミケランジェロの作品がある。 そしてルネサンスの最高傑作として今も称えられるボッティチェッリの「ビーナスの誕生」と「春」もこのフィレンツェが生み、フィレンツェにある(ウッフィーツィ美術館)。
 また、いにしえの歴史を美しく残すだけでなく、イタリアンブランドのフェラガモやグッチの本店のある、現代ファッションの中心地でもある。
 そんなフィレンツェを多角的にしかも深く紹介したい。
 ここに紹介している地図だけをとっても、どのガイドマップよりも詳しい地図である。
 ただ、すべての点で詳細な内容を網羅することは一朝一夕にはできないので、何回かに分けて紹介していく形となるのでご了解いただきたい。
一般情報
フィレンツェ遠望
サンタマリア・デル・フィオーレ
新市場のいのしし像
フィレンツェ遠望
サンタマリア・デル・フィオーレ
新市場のいのしし像
ロケーション

 イタリアの中央部、トスカーナ州の北部に位置するトスカーナ州の州都。
  中央を流れ街を2分するアルノ川は、アレッツォからこの街に流れ入って、ピサを通 り、ティレニア海に流れ込んでいる。
 このフィレンツェから北部へ抜けると、ボローニャを経てラベンナ、ヴェネチアに出る。
 一方、半島の傾きに沿って北西に向うとジェノバ、ミラノに出る。 南に向えば、ローマである。トスカーナ平野の中の盆地に位置しているので内陸部だが、標高は低い。人口は約40万人。
標高:50m
人口:403,294人


フィレンツェの位置
フィレンツェの地図

フィレンツェの歴史
●中世時代
 紀元前10世紀に古代イタリア人が住み着いたのが始まり。
 その後、エトルリア人がこの辺りに住み着いたが、その頃はフィエーゾレ(フィレンツェ北部の丘の上)が町の中心地で、現在のフィレンツェ辺りはまだ小さな集落であった。
 古代ローマ人がこの地に植民地を作るに至って都市に成長した。彼等がこの地を「フィオレンツィア」と呼んだのがこの町の名前の由来らしい。
 その頃はまだ、現在のレプブリカ広場辺りからアルノ川までの狭い地域しかなかった。
アルモンテ教会 ローマが滅んだ後、中世初期はまだトゥーシャ(中世のトスカーナの呼び名)の主要地はルッカで、10世紀を過ぎる辺りで時の辺境候ウーゴがこの地に重きを置くようになり、都市として発展し出した。

 
フィレンツエの市フィレンツェの地図
●ルネサンス時代
  11世紀の後半、人口が増加し、町を囲む城壁も築かれた。この頃、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、サン・ミニアート教会、サンティ・アポストリ教会等が建てられている。
 12世紀初頭、フィレンツェを支配していた女伯爵マティルデが亡くなると自由都市体制(コムーネ)が樹立された。
 その後、隣国との戦争に明け暮れ、次第に領土を広げていったが、市内でも皇帝派(ギベッリーニ)と教皇派(グエルフィ)が互いに争い、内乱を繰り返した。「神曲」を書いたダンテもこの争いでフィレンツェを追われ、2度と戻ってこなかった。
 コムーネ誕生と同じ頃、交易によって町は発達し、市民も増え、城壁も新しく築かれ発展していった。この頃の主な産業は織物と銀行業である。

 15世紀になると、その中から銀行業で巨万の富みを築いたメディチ家が頭角を表し、フィレンツェを支配し始める。15世紀半ばにコシモ・デ・メディチ(コシモ・イル・ヴェッキオ)のとき隆盛をむかえロレンツォ・デ・メディチ(ロレンツォ・イル・マニフィコ)のとき頂点を極めた。コジモ  1492年のロレンツォの死後、一時、メディチ家はフィレンツェを追われるが、ロレンツォの弟(ジュリアーノ)の息子がクレメンテ7世として教皇位 に付くと、時の神聖ローマ帝国皇帝カール5世の援助を受け、再びメディチ家をフィレンツェに戻し、メディチ家を王とするトスカーナ大公国が誕生する。
●バロック時代以降
 1737年、メディチ家が断絶して、大公はロレーヌ(ロートリンゲン)家に引き継がれるが、1801年ナポレオンがフィレンツェの統治者となり、やがて1807年フランスに併合される。
 しかし、1815年ナポレオンの没落後、ロレーヌ家がフィレンツェの領主として返り咲き、1847年、トスカーナを統一する。
 だが、それもつかの間、19世紀終わり頃、イタリアのリソルジメント運動が起こり、1880年の国民投票によって、フィレンツェはトスカーナ王国ともどもイタリア王国に併合され現在に至る。
主な見どころ
大聖堂 フィレンツェには見どころは沢山ある。その中で、教会と美術館に絞って紹介したい。その他の見どころについては「見どころ」コーナーを参照のこと。
 教会は有名なドゥオモ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂がある。ファザードのみならず壁面 全体を色大理石で飾った、華やかな聖堂である。聖堂内はあまりに大きくてちょっとガランとした感じが否めないが、その壮大さには目を見張るものがある。
 市内を一望できる、クーポラかジョットの鐘楼に登れるサービスがある。有料だが、景観は素晴らしい。ただし登るのは体力がいる。
サンタマリア・ノヴェッラ その他にも、サン・ロレンツォ教会、サンタ・クローチェ教会、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会などがある。
 サン・ロレンツォ教会はメディチ家の菩提寺で、メディチ家の礼拝堂とミケランジェロの彫刻のあるメディチ廟がある。
 サンタ・クローチェ教会には、ミケランジェロ、ニッコロ・マキャベッリ、ガリレオ・ガリレイ、ロッシーニ等の墓がある。

 サンタ・マリア・ノヴェッラ教会には映画「ハンニバル」にも出てくる自然の香料のみを使った石鹸や香水等が売られている。
 美術館は、有名なウッフィーツィ美術館を始め、バルジェッロ美術館、サン・マルコ美術館、ピッティ宮殿内のパラティーナ美術館等がある。
 それぞれ、ルネッサンスに活躍したイタリアの芸術家の作品が多く展示されている。
フィレンツェの祭 ダビデ像 旗振り 広場
  彫刻なら、バルジェッロ美術館へ、絵画ならウッフィーツィ美術館、フラ・アンジェリコの清澄なフレスコ画を見るならサン・マルコ美術館へ。 パラティーナ美術館にはラッファエッロの有名な絵がある。
 その他にも、貴石加工美術館や、陶磁器博物館、銀器博物館、 中世邸宅博物館、動物学博物館などがある。
「見どころ」を見る

料理とワイン
キアンティワイン
キアンティワイン
 トスカーナの料理としてすぐに思い浮かぶのは、「ビステッカ・アラ・フィオレンティーナ」だろう。トスカーナ特産のキアナ牛とオリーブオイルを使ったシンプルなこの料理は、日本の高級牛肉とは違い、脂身の含まれていない、肉分オンリーのビフテキ料理なので、あるいは日本人には意外な味と感じられるかもしれないが、このフィレンツェの代表的な料理である。
 他にはパンを入れて煮込んだスープや、街頭で売っているトリッパのパニーニ等がある。「 料理」(未完)を見る
 一方ワインに関しては、フィレンツェのあるトスカーナ州は、イタリアの中でもピエモンテ州と並んで美味しいワインの産地として名高い地区である。
 イタリアワイン法で最もおいしいワインとして位置付けられているD.O.C.Gワインを多数産出している。
 赤ワインとしてキアンティキアンティ・クラッシコ、ヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチアーノ、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、カルミニャーノ があり、白ワインはヴェルナッチャ・ディ・サンジミニャーノがある。
 その他にも、ワイン法に定められた品種にこだわらず、自分達の良いと思う品種を使って作る、新しいタイプのワインも近年評判を取っており、それらのワインは「スーパー・タスカン」と称されている。
 トスカーナ主力品種のサンジョベーゼにカベルネソービニヨン種を混醸させ作るのが主流となっている。主なものとして、サッシカイア、ティニャネッロ、ソライアなどがある。 「ワイン」(未完)を見る

ホテル
 4星ホテルとして、「ヘルヴェティア&ブリストル」、「ブルネッレスキ」、「ギャラリー・ホテル・アート」、「コンティネンタル」「サヴォイ」などがあり、 3星ホテルは「カルツァイオーリ」「デッラ・ シニョリーア」「ダンテ」、「ベアトリーチェ」等。
 2星ホテルは「アルディーニ」、「メディチ」、「キアッツァ」、「ビジュー」、「カッシ」などがある。
「ホテル」を見る
ビデオで紹介「夜のフィレンツェ」
 
フィレンツェの夜の風景を紹介するビデオです。音楽と自然音のみでナレーションはありません。すっきりと出来てますので、楽しめると思います。

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