ウルビーノのタイトル
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ウルビーノタイトル画  ウルビーノは、ラッファエッロが生まれた街として知られています。高台にある旧市街地は、街全体が中世の匂いを色濃く残していて、その中を散策するだけで、ルネサンスを味わえる美しい街です。
 しかし、近くを鉄道が走っていないので、訪れるには長距離バスを使うしかないようです。日本ではこの手の情報が手に入りにくく、行きたくても躊躇しているという人も多いのではないでしょうか。今回は現地へ行く方法を中心に街を紹介したいと思います。
一般情報
劇場 ドゥオモ内部 大聖堂正面 タンス
エレベータ塔
大聖堂内部
大聖堂正面
博物館所蔵品
ロケーション

 ウルビーノはアドリア海に面したマルケ州の内陸にある街。近くの鉄道の駅は海側にあるペーザロとオルテからファルコナーラに向かう路線途上にあるファブリアーノかトスカーナ州のアレッツォである。
 ペーザロからは50分くらい、アレッツォからは3時間くらいで共にプルマンが就航している。ファブリアーノからは今のところバスがあるかどうかは分からない。この駅自体が山の中の駅なので、そこからウルビーノという線は薄いように思われる。詳しくは、 こちらで紹介している。
ウルビーノ市への行き方
ウルビーノの付近図

ウルビーノの位置
イタリアの中のウルビーノウルビーノ市全図ウルビーノ市

ウルビーノの歴史

  6世紀頃、ウルビーノ市の場所にはウルウィヌム・マタウレンセ(マタウルス川沿いの小さな都市)があり、戦略上の要地であったとされている。その後何時の頃からか、ウルビーノと名が変わり、独立したコムーネとして発展していたが、13世紀頃、モンテフェルトロの貴族の所有となった。
 その中で、15世紀中頃から後半まで在位したフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロが有名である。彼は優秀な傭兵隊長として活躍し、手にした財力で現在も街の中心に建つドゥカーレ宮殿を建てた。熱心な芸術と文芸の保護者だったので街は最も栄えた。

 この後、息子のグイドバルドの時代にチェーザレ・ボルジアの攻撃を受け、一次亡命するが彼の失脚後復帰。彼の死後は、教皇の一族デッラ・ローヴェレ家の人間が跡を継ぐ。教皇が、フィレンツェのメディチ家出身のレオ十世に変わるとロレンツォ・デ・メディチ(2世)の支配となる。がそのレオ十世が死ぬと再びローヴェレ家のフランチェスコ・マリーアが復帰しローヴェレ家のものとしての時代が続く。17世紀に教皇領(直轄)となりウルビーノ大司教が統治することとなる。1870年以降はイタリア王国を経てイタリア共和国となった。

主な見どころ

 ウルビーノは景色の美しい所。まずは要塞だった丘の上からの街の景色が一番の見どころである。絵心のある人なら、丘の斜面にすわってスケッチしたいと思うだろう。
 この丘から下ってラッファエッロ通りを行くとその途中にラッファエッロの生家がある。ここは現在美術館になっていて彼が住んでいた様子が分かるのと同時に彼の少年時代の彫刻像や母を描いたような聖母像を見ることが出来る。


建物自体がルネサンスのものでその雰囲気がとても良い。
 そして、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロが築いたドゥカーレ宮殿も見どころの一つだ。中に入って見学できるので、ぜひ見てほしい。入口は広場の建物に向かって左側にある。
ウルビーノへのルート・特産品紹介
ペーザロから来るには

 
ウルビーノの特産
 ウルビーノへはペーザロから長距離バスで来るのがよい。ペーザロはリミニ〜アンコーナ間にあるアドリア海沿いの街。
 ここの駅前からウルビーノ行きのプルマン(長距離バス)が出ている。その詳細は
こちらで。
   ウルビーノのあるマルケ州ではロッソ・コーネロというワインや各種の蒸留リキュールが作られている。料理としては、大粒オリーブのフライ料理のアッラスコラーナ、マルケ州風のラザーニャ、ウルビーノ名物のパスタ「パッサテッリ」などがある。
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