6世紀頃、ウルビーノ市の場所にはウルウィヌム・マタウレンセ(マタウルス川沿いの小さな都市)があり、戦略上の要地であったとされている。その後何時の頃からか、ウルビーノと名が変わり、独立したコムーネとして発展していたが、13世紀頃、モンテフェルトロの貴族の所有となった。
その中で、15世紀中頃から後半まで在位したフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロが有名である。彼は優秀な傭兵隊長として活躍し、手にした財力で現在も街の中心に建つドゥカーレ宮殿を建てた。熱心な芸術と文芸の保護者だったので街は最も栄えた。
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この後、息子のグイドバルドの時代にチェーザレ・ボルジアの攻撃を受け、一次亡命するが彼の失脚後復帰。彼の死後は、教皇の一族デッラ・ローヴェレ家の人間が跡を継ぐ。教皇が、フィレンツェのメディチ家出身のレオ十世に変わるとロレンツォ・デ・メディチ(2世)の支配となる。がそのレオ十世が死ぬと再びローヴェレ家のフランチェスコ・マリーアが復帰しローヴェレ家のものとしての時代が続く。17世紀に教皇領(直轄)となりウルビーノ大司教が統治することとなる。1870年以降はイタリア王国を経てイタリア共和国となった。 |