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ローマの歴史
●ローマ帝国時代
 伝説によると、ローマ建国の時は紀元前753年4月21日とされている。(この日はローマの休日)トロイの王子の末裔と言われる双子の兄弟が生まれてすぐに川に流され辿り着いた川岸でオオカミに助けられ、育てられた。 彼等が成人してこの地に国を作ったのがローマの始まりと言われている。カピトリーノ美術館にオオカミが二人の子供に乳を与えている彫刻がある。
 実際はインド・ヨーロッパ系のイタリア人の一派であるラテン人によって、紀元前6世紀頃に王制の都市国家として作られた。
 紀元前5世紀頃、エトルリアから迎えた王が横暴だったため、王を追い出し、王制から元老院議員(セネター)が集団で政治を行う共和制に変わった。
 イタリア半島の支配を広げ、紀元前3世紀頃には半島全体を支配していた。その頃、地中海の支配を広げようとしてシチリアに攻め入ったカルタゴと戦う。長い戦いの末カルタゴを倒し、カルタゴの支配していた地域を手に入れたローマは一気に地中海の支配者となった。

 しかし、内政的には元老院達富裕層が富を独占するという弊害が生じ、ユリウス・カエサルが共和制を改革しようとしたが、途中で暗殺される。
その意志をついだオクタヴィアヌス(後にアウグストゥスと呼ばれる)が王制を復活させた。ローマは帝国(複数の国を要する国)だったので皇帝(エンペラトール)と言われる。
 以後、いくたの皇帝が誕生するが、5世紀末にローマ帝国は崩壊、以後ローマは荒廃する

 

ローマ市ローマ地図

オオカミの像
ロムスとレムリスの兄弟を育てた狼の像

●初期キリスト教時代(中世)
 ローマ帝国滅亡後は、紀元4世紀初めに皇帝となったコンスタンティヌスによってローマ公認となったキリスト教が次第に人心をまとめサン・ピエトロ寺院を中心にして都市としての機能を取り戻していった。
 ヨーロッパの諸国もキリスト教への恭順を示すようになり、
  ローマはその信者達の支払うキリスト教税によって潤うようになる。
 イタリア全体ではドイツ神聖ローマ帝国の支配が確定し、それなりに国勢は安定したため、東方との貿易から急速に富を集めることとなる。
●ルネッサンス時代
 東方貿易の発展はイタリア・ルネッサンスの誕生を生むが、ローマもフィレンツェなどと共に中心的役割を果たし発展する。
 神聖ローマ帝国皇帝でスペインの支配者でもあったカール5世がローマを攻撃し「サッコ・ディ・ローマ(ローマ掠奪)」と
  後に名付けられるほどの惨事を被ることもあったが、その後すぐに復興する。このことがあったため、ローマにはバロック建築が多い。つまり「サッコ・ディ・ローマ」以後に建てられた建物がバロック様式の建物だということである。
●バロック時代
 ルネサンス時代に発展しその後急速に衰えた都市国家は多い。現在ルネサンス時代の色合いを濃く残している街は皆このタイプである。
 カソリックは、新教(プロテスタント)の誕生によって信者は減少したが、ローマはその聖地としての隆盛をなんとか保った。
   その後、イタリア半島は次々と他国の支配を受けるようになり、その支配による安定という形になる。モーツアルトやゲーテが憧れてやってきたローマは他国に支配された街だったのである。
●イタリア統一
 19世紀に入ると、1859年にイタリア統一戦争が始まり、1860年頃にはラッツォとヴェネト・トリエステ地区などを除いたイタリア半島が統一独立し、1870年にはローマも併合、   以後イタリアの首都はローマとなって現在に至る。なおイタリア全土が独立併合されたのは、その後の1919年になってからである。また、イタリアが共和国となったのは戦後のことである。