フォロ・ロマーノ
Folo Romano
このフォロは元々は、カピトリーノの丘、パラティーノの丘、ヴィミナーレの丘、クィリナーレの丘の4つの丘の間にあった湿地帯であり、墓場として使われていた。それがクロアカ・マクシマ(大下水溝)が築かれて干拓ができるようになり、人が住み着くようになった。そしてそれが、ローマ帝国の母体となっていった。
カエサルとアウグストゥスの時代に本格的に整備され、多くの皇帝達がここに巨大な建築を建て、ローマの中心地となった。しかし、ローマ帝国が滅びた後は、地震と蛮族の破壊により荒廃した。中世初期には多くの建物が教会と要塞に変わったがその後は建築資材の砕石場と化した。また土地は家畜用の牧草地となっていた。
ルネサンスの時代になると、ローマ建築や彫刻の価値が再認識され、法王が中心となって発掘作業が行われ、多くの彫刻が掘り起こされ、ヴァティカンなどに飾られることとなった。現在、ヴァティカン美術館にあるアポロンやラオコーン、ヴェルヴェデーレのトルソなどはこのとき発掘されてものである。
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元老院
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バジリカ・エミリア跡
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主な施設
エミリアのバジリカ
中心部分を円柱によって分けた広間によって構成されていた建物。商業と司法を行う場所であった。
紀元前179年に財産調査官であるマルコ・エミリオ・レピドとマルコ・フルヴィオ・ノビオリーノによって設立され、紀元前1世紀にエミリア人によって建て直された(名前はこれに由来している)。その後アラリック王の軍によって破壊され現在のようになった。
セプティミウス・セウエルス帝の凱旋門
ロストリ
サトゥルヌス神殿
フォロ広場
ユリウスのバジリカ
カストール神殿
サンタマリア・アンティクア
カエサル神殿
エディコラ・ディ・シュントゥルナ
ヴェスタ神殿
レジア
アントニヌスとファウスティーナ神殿
ロムルス神殿
マクセンティウス帝のバジリカ
フォレンセ古美術館
ティトス帝の凱旋門
リヴィアの家
ウッチェッリエーレ
フラウィウス宮殿
パラティーノの丘古美術館
ドムス・アウグスターナ
ドミティアヌス帝のスタディウム
ドムス・セウェリアーナ
見学
平日(火曜を除く):9時〜日没の2時間前まで
火曜・祝日:9時〜13時
入口:ロモロ・エ・レーモ広場から
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