聖ビターレ聖堂

聖ヴィターレ聖堂
San Vitale

 ゴート族支配下にあった527年、エクレツィオ司教の構想により着工された。完成はビザンチン帝国支配下に移った548年5月17日、ラヴェンナ出身の第27代マクシミアヌス大司教が聖堂の献堂式を行ったときとされている。
 この建物は、世界でも珍しいラヴェンナ式ローマ建築で、当時の粋を集めたビザンチン建築様式の傑作と言われている。
 後にはラテン十字形と言われるスタイルで定着した教会建築だが、この教会は8角形でギリシャ十字型といわれるビザンチンの教会スタイルである。中も2重の八角形で構成され、実に個性的な教会。
 後陣の部分には、さらに四角形や円筒形の建物が附随していてそこには喜捨品納骨堂などがある。8角形の壁には3つの窓があり、その上に乗っている8角形のクーポラの壁には1つづつの窓が付いてる(上部写真参照)。この窓には現在色を塗った普通のガラスがはめ込まれているが、建築された当時も色ガラスが使われていたという。そのガラスは現在国立博物館に納められている。
 聖アポッリナーレ・イン・クラッセ教会の場合と同じようにギリシャ出身と言われるユリアヌス・アルゲンタリウス(銀行家)がこの聖ヴィターレ教会にも建築の為の金塊2,6000を支払った。しかし、現在ではこの人物よく分かってはいないらしい。おそらく東ローマ帝国皇帝の腹心だったと言われている。
 

後陣
クーポラ(実物はもっとカラフル)

 クーポラは直径16mで土管を次々に接合して水平に配置したもの。聖堂内部は8本の付け柱がありそれが大きな8つの壁龕(壁のへこみ)を造り出している。と同時に柱は上にあるクーポラを支えている。

聖ヴィターレ教会の裏
教会の裏の入口

 床にもモザイクが敷き詰められているが、そこには細かいモザイクと粗いモザイクがある。それは細かいのがオリジナルの古いもので、粗いのは後の時代に修復されたものである。後の時代にはモザイク職人が昔程技術がなく粗くしか作れなかったとか。

内部の床のモザイク(古い時代)
内部の床のモザイク(新しい時代)

 教会内部の壁には一面に色鮮やかなモザイク画が描かれている。当時モザイク画はもっとも鮮やかな色の出せる画材だった。そして、それは今も少しも色褪せることなく鮮やかな姿を見せている。キリスト教徒でなくても、無宗教でもこのモザイク画には何かを感じさせてくれるひたむきさが感じられる。


壁のモザイク画