ガラ・プラキディア霊廟

ガラ・プラキディア霊廟
Gara Puracidia

5世紀の始め頃、すでにミラノに移っていた首都がラヴェンナに移った。
 東ローマ帝国皇帝テオドシウスの娘は409年に攻め込んできたゴート族の王アラリックに捕まり捕虜となった。しかし、彼女を見初めた王子アタウルフは彼女と結婚。ここにゴート族とローマ帝国の和平の道が見えてきたが、すぐにアタウルフは暗殺され、その夢は消え去った。
 夫を失ったプラキディアはそのアタウルフの命でローマに返された。
 その後、意にそまぬコンスタンティヌス将軍との結婚をし、子を作る。それが次の西ローマ帝国の皇帝ヴァレンティアヌス3世となり、プラキディアは後見人となる。その首都は勿論ラヴェンナだった。この時代、やく1/4世紀は平和に過ぎた。
 そして、彼女の死後、このガラ・プラキディア霊廟に納められた。
 しかし、後世彼女の死体を見ようとした者が明かりとして使っていた蝋燭の火を棺の中に落とし、遺体は焼けてしまった。現在、霊廟内の棺の中には、何も入っていないそうだ。

 しかしそれでも、この小さな霊廟は壁から天井まで美しいモザイク画でうめ尽くされており、創建された昔より少しも色褪せない鮮やかさで来場者の目を楽しませている。