ダンテの墓
ダンテはフィレンツェ生まれのフィレンツェ育ちであるが、その墓はここラヴェンナにある。
彼は皇帝派の内部争いの結果、故郷フィレンツェを追われた。イタリア内を放浪した後、1316年からラヴェンナの領主グイド・ダ・ポレンタのもとに身を寄せ、以後この地にとどまった。
グイド・ポレンタの使者として何回か旅行はしたが、それ以外の時は子供達に励まされながら、「神曲」の執筆にあたった。
1321年の9月13日夜半に死去し、聖フランチェスコ教会での葬式の後、彼の遺体は教会の近くの石棺に納められた。
その後、1483年ヴェネチアの彫刻家ピエトロ・ロンバルドがラヴェンナ共和国の行政長官ベルナルド・ベンボから任され、ダンテの名誉をたたえる浮き彫りを作成した。(下図)
1780年に枢機卿特使ルイジ・ヴェレンティ・ゴンザーガはラヴェンナの建築家カミッロ・モリジアに墓所の制作を依頼した。結果、完成したのが現在あるネオ・クラシックスタイルの墓である。なお、1921年、再び墓所に手が加えられ壁が縞メノウや大理石で装飾された。
毎年、ダンテの命日である9月14日に尤も近い日曜日に大セレモニーが催される時に丸屋根からつるされているランプ用の油がフィレンツェ市からラヴェンナ市に贈られる。
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ダンテの墓 |
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扉の上の飾り |
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内部にあるダンテのレリーフ |
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ダンテのレリーフ |
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