歴史タイトル

数奇な運命に弄ばれた悲劇の王妃


ガラ・プラチディアの墓内部

 ガラ・プラチディア
(390年頃〜450年死)

 皇帝テオドシウス大帝の娘。390年頃生まれたらしいが詳しい記録はない。
 409年、西ゴート族のアラリック王がローマを強奪、皇帝テオドシウスの娘ガッラ・プラチディアはゴートの捕虜となった。しかし、アラリックの後継者だったアタウルフが彼女を見初め結婚、二人は幸せなときを過ごした。が、まもなくアタウルフは暗殺され、ガッラ・プラチディアはローマに戻され、ラヴェンナにやってくる。
 彼女は、コンスタンティヌス将軍と結婚、その子が皇帝となる。プラチディアの子、ヴァレンティアヌスはまだ幼かったので、プラキディアが後見人となりローマ帝国の政治を司った。この統治期間に彼女はラヴェンナにとどまり、ローマも平和が続いた。
 晩年、彼女は宮廷をローマに移し、450年11月27日、その地でで死去したが、その遺体は、このラヴェンネに葬られた。その霊廟は聖ヴィターレ教会の敷地内に建てられており、今でも多くの観光客がそこを訪れる。
 ラベンナのサン・ビターレ寺院の北側ドアから出ると、小さな煉瓦作りの十字架型をした霊廟がある。内部に入ると、若い羊飼いの姿をしたキリストと羊たち、そして聖人の姿など様々なモチーフが描かれている。
 鮮やかなアクアマリンブルーと緑を基調にしたモザイク、堂のアラバスターの小窓から指し込む光線に、微妙な色調の変化を生み出し、見る者を飽きさせない。
享年およそ60才。