歴史タイトル

フランチェスコ・デ・メディチ・トスカーナ二代大公

フランチェスコ一世(1541年生-1587年死)

 トスカーナ大公国の一世、コジモ・デ・メディチの長男。父の跡を継いで2代目トスカーナ大公となる。
ウッフィーツィの3階に美術館を造るアイディアを考えだしたのはこのフランチェスコである。彼は錬金術に熱中し、美術を愛した。ピッティ宮殿の裏庭にいくつもの人を驚かす仕掛けを作ったとも言われている。宮殿の北側にあるブオンタレンティのグロッタを作ったのも彼である。この洞窟は後にグロテスク(奇怪なものという意)の語源になったと言われているおどろおどろしい洞窟である。
 彼はオーストリアの神聖ローマ帝国皇帝マクシミリアン二世の妹(フェルディナンド一世の娘)ヨハンナ・ド・オーストリアと結婚するが、その前からヴェネツィアの美女ビアンカ・カッペッロ(1543-1587)を愛人としていた。しかもヨハンナの死後はビアンカを大公妃として迎えた。
 二人は1587年同時に病気となり死亡した。そのため、誰かに毒を盛られたのではないかと言われている。