歴史タイトル

コジモ・デ・メディチ・トスカーナ大公国・初代大公

 コジモ・デ・メディチ(コジモ一世)
(1519年生-1574年死)

 アレッサンドロ・デ・メディチが暗殺された後、メディチ家直系の血筋が絶えたため、傍系だったコジモ・デ・メディチに次の公爵位が舞い込む。
 彼は、父に黒備えのジョヴァンニと呼ばれた武将、ジョヴェンニ・デ・メディチ・ヴァン・デ・ネッレ(1498-1526)を、母にフィレンツェの貴族サルヴィアーティ家のマリーア・サルヴィアティを持つ。
 彼は、メディチ家ではコジモ・イル・ヴェッキオの弟の血筋でかなり離れているが、直系の血が絶えたためメディチ家を継ぐことになった。彼は権力の集権化に努め、ときの皇帝カール5世の後ろ楯を得てフィレンツェをトスカーナ大公国とし、近隣にも勢力を伸ばした。
 最初、メディチ宮(現、メディチ・リッカルディ宮殿)に住んでいたが、そこを出てヴェッキオ宮殿を住まいとするが、手狭だったため、妻のエレオノーラ・デ・トレドの持参金でアルノ川の向こうにあるピッティ宮殿を購入し、そこを新たな住まいとする。後に何人かの大公によってピッティ宮殿は拡張されフィレンツェ1の大宮殿となる。
 彼によってトスカーナ大公国の基礎は造られた。
また、彼はヴァザーリを重用し、彼に新しい政庁としてウッフィーツィを造り、アカデミーも創設した。
 トスカーナ大公の二代目は、彼の次男フランチェスコである。