メディチ家を隆盛に導いた立て役者。
元々は薬業を営んでいた父親のジョバンニ・ディ・ビッチが金融業を拡張し、巨万の富を築き上げた。その息子コジモは教皇庁の御用銀行を勤めると共に各地に勢力を増大し、祖国の父とまで呼ばれた。一時は政敵の陰謀に殺されかけたが細心の注意と巧みな買収により、ヴェネツィア追放で切り抜けた。戻って来ると急速に政敵を始末し、フィレンツェでのメディチ家独裁体制を築いた。
有り余る財力を使い、芸術家をひ護し、教会を建て、フィレンツェの隆盛に寄与した。
サン・マルコ教会には自分の部屋があった。
その息子ピエロ、豪華王の異名を取った孫のロレンツォと続く3代にわたる第1次黄金時代を築いた。この間ドナテッロ、フラ・アンジェリコ、ボッティチェッリ、ラッファエッロ、ミケランジェロなど多数の芸術家を庇護し、自由な創作活動をバックアップしてルネサンスを開花させた。
後にメディチ家隆盛の第2期を築いたトスカーナ大公国初代大公のコジモ1世(コジモ・ディ・メディチ)と同じ名前なのでよく間違えられる。
享年75才。
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