歴史タイトル

ドンファンだけではない、ヴェネツィアの放蕩息子

 

 ジャコモ・カサノヴァ
(1725年生-1798年死)

  1725年、ヴェネツィアに生まれる。母はザネッタ・ファルッシ、父はガエタノ・ジョゼッペ・カサノヴァで共に俳優をしていた。
 しかし、実の父親は夫婦が所属していた劇場「サン・サムエール」の所有者だったミケーレ・グリマーニだと言われている。彼は長男で夫婦には他に3人の子がおり、下の二人は本当に自分達の子供であったが、子供には興味を持たず、親らしく接する事はなかったらしい。
 しかし、父がグリマーニ家にジャコモ(カサノヴァ)の養育義務があると訴え出て教育費を得た。そのおかげで彼は中流以上の子息が通うパドヴァの学校に入り勉学する事ができた。
 彼は、頭の回転、知識欲と探究心を持つ優れた生徒で、教師達にも人気があったらしい。大学では、倫理哲学、化学、数学、法学を学び、ヴェネチアに戻ったときは、教会で法律実務を行う職を得た。
 しかし、老いた評議員に取り入って社交界で活躍するようになると仕事のこと等忘れてしまい、長くは続かなかった。次に下級士官の職を得てコンスタンチノープルに出向いたが、そこも短期で辞めてしまい、再びヴェネチアに戻った。
 そこで生涯のパトロンを得たと同時に少女をレイプしたという嫌疑をかけられ、ヨーロッパに逃亡、放浪の日々を過ごすこととなる。
 1753年にヴェネチアに戻るが今度は、宗教裁判で有罪となり、投獄される。5年の後、その監獄から逃亡し再びパリへ。
 1785年ボヘミア(現在のチェコ)の宰相ワルドスタイン伯爵の司書となり、その地で73才で死んだ。
 彼はドンジョヴァンニと称せられ、その恋愛遍歴が有名であるが、彼は常に相手のことを考え、お互いの快楽に注意を払っていた。また別れた後も女性を人間として尊敬し、親交関係を維持したと言われている。それが彼の恋愛を成功させた理由でもあったらしい。
 また、彼は男性にも興味を持ち、関係を持った相手も何人かいたという。
 彼はヴェネツィアで罪を問われたとき、ヴェネツィアのスパイになるという交換条件で釈放されたという説もある。
 どちらにしても、彼は単に女性を口説くのがうまい男というだけでなく知識の広さ、想像力などにおいて他に比類ない能力を発揮したと当時の政治家に言わしめている。