歴史タイトル

ルネッサンス期の術策に富む政治家

 チェーザレ・ボルジア
(1475年〜1505年死)

 スペイン出身の枢機卿ロドリーゴ・ボルジアの長男に生まれる。庶子であったが、父親がアレッサンドロ6世と名のる教皇となったのを機会に枢機卿となるが、軍人になる事を望み、教会軍総司令官についていた弟(異母)を毒殺(と言われている)して自身が総司令官となる。教皇領を直轄領とするため強引に迫り、拒否する国は武力で平定していった。イタリア統一を目指したが、その途中で、父親と一緒に熱病にかかり父アレッサンドロは死に、自身も病に倒れていたため、権力は他の勢力に奪われ、追放される。スペインまで逃げるが、捕まり投獄。そこを出た後、父のいた西スペインで戦死する。
 手段を選ばず権力を得ようとしたとして悪魔のような悪人というイメージがあるが、マキアベッリの君主論のモデルともいわれていて、実際は英明な政治家であったという説もある。
享年30才。