ビアンカ・カッペッロ邸
Palazzo Vianca Cappello
トスカーナ大公国の2代目大公はメディチ家のフランチェスコだが、この大公の愛妾で、後に大公妃になったのがこのビアンカ.カッペッロである。
彼女は、ヴェネチアの貴族の娘に生まれたが、フィレンツェの貴族の末裔と駆け落ちをしてフィレンツェにやってきた。だが、いざフィレンツェに来てみると父親からの追っ手がこの街までやってきて、外出もままならない始末。
ところが、窓から外を見る彼女を見初めた当時王子だったフランチェスコが強引にことを運んで彼女を愛妾にしてしまった。
その後、彼は別の女性と結婚し大公になったが、依然としてビアンカを愛妾として近くに住まわせていた。その時の屋敷がこのビアンカ・カッペッロ邸だと思われる。
やがて大公妃が死んだとき、普通なら他の国の王族の系列から相手を選ぶところを自らの愛妾を妻に迎えた。これは当時としては非常に珍しい例である。
しかし、二人はそれから間もなく同じ伝染病にかかって死んでしまった。毒殺されたという説もあるという。
この時代には珍しいメロドラマに見えるが本当のところはどうなのだろうか・・・・。
なお、彼女は当時、イタリア一の美女と謳われたがその肖像画がウッフィーツィ美術館にある(メディチ家の人達の肖像画が飾られている部屋)ので、
興味のある人は見てみれば。丸顔の活発そうな顔をしている。
カッペッロ邸の壁
(フレスコ画による装飾がされている)
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