サンタマリア・ノヴェッラ教会

サンタマリア・ノヴェッラ教会
Chiesa di Santa Maria Novella

 フィレンツェ市の北西、中央駅の前にある教会がこのサンタマリア・ノヴェッラ教会である。
 11世紀からある聖堂を1219年からフィレンツェで活動を始めたドメニコ修道会が買い取ってこの会の根拠地とした聖堂。
 ゴシックをベースにしたフィレンツェ独自の様式で、設計は二人のドメニコ派の修道士だという言い伝えがあるが確かではない。有名な彫刻家ニコラ・ピサーノという説もある。
 また、この聖堂の色大理石を使った美しいファサードは、15世紀中頃、当時の建築理論家として有名だったレオン・バッティスタ・アルベルティが設計した。このとき資金を出したのが、ジョヴァンニ・&パーオロ・ルチェッラーイであった。
  アルベルティは、1404年ジェノヴァで生まれたが父親はフィレンツェを追われた商人であった。私生児だったが、パドヴァ大学、後にボローニャ大学で学んだ。やがて追放令が解かれて彼はフィレンツェにやってきた。人文主義最初の理論家として有名である。「絵画論」と共にローマの建築理論家ヴィトルヴィウスの書「建築論」にならった「建築論」を著している。

ノヴェッラ教会
教会の内部・内陣

裏から見た教会

 右翼廊奥のルチェッラーイ礼拝堂にはニコラ・ピサーノの「聖母子像(Madonna col Bambino)」が置かれている。
 内陣の右隣は「ストロッツィ礼拝堂」で、壁面のフレスコ画フィリーピーノ・リッピ作の「聖ヨハネとピリポ伝(Storie dei Ss Giovanni e Filippo)」 がある。
 中央の礼拝堂にはギルランダイオ−作の「聖母マリア伝(Vita della Madonnna)」と「洗礼者ヨハネ伝」が描かれている。ギルランダイオーがこれを描いている頃、ミケランジェロが弟子入りしている。この「聖母マリア伝」 の中の「聖母被昇天」の絵の中にミケランジェロが描いたのではないかと感じさせる人物(群像の中の後ろ向きの人)がいるといっている人もいる。
 ギルランダイオーが外出しているときにこの教会内で仕事をしている人達のスケッチをミケランジェロが描いていてその余りの巧みさにびっくりしたというエピソードもある。このときミケランジェロは13・4才くらいである。


ドゥオモのクーポラ上から見たノヴェッラ聖堂
クーポラがないのが分かる。