サンタ・クローチェ教会

サンタ・クローチェ教会

 この教会はフィレンツェ市の東、グラツィエ橋の北東にあるサンタ・クローチェ広場にある。
 サンタ・クローチェとは「聖なる十字架」という意味である。
  フランチェスコ派修道会の聖堂として13世紀前半に創建されたが、1314年に再建工事が始まる。設計者はA・デイ・カンビオと言われているがはっきりしない。本堂は、1385年に完成。鐘楼と色大理石で装飾されたファサードは19世紀半ばのもの。これは15世紀のクロナカのデザインを基にしていると伝えられているが確実な資料は残っていない。
 内部は、三廊式の非常に大きな明るい空間である。天井が木で出来ているため支える重量 が大幅に軽減され幅の広い身廊が可能になった。
 この聖堂の名称になっている『聖なる十字架」とはいわゆる十字架ではなく、いろいろな外伝が伝える伝説からとられたもの。十字架がエデンの園に生えていた「生命の木」から作られたというその十字架のことをさす。中央の大礼拝堂には、タッデーオ・ガッティの描いたフレスコ画の「真実の十字架の物語」がある。ここにはエデンの園に生えていた生命の木がどういう変遷を経て、キリストを磔にする十字架になったかが描かれている。
 なお、 このテーマの絵は、アレッツオにあるサン・フランチェスコ聖堂にピエロ・デッラ・フランチェスコが描いたものがあり、こちらの方が完成度高く描かれているので、行く予定のある人はぜひ見ていただきたい。


聖十字架物語のフレスコ画(左側面)

 教会の内部には多くの有名人の墓があるのが特徴である。
 ルネッサンスの代表的芸術家であるミケランジェロ・ブオナッロティを始め、「君主論」を著したニコロ・マキャベッリ、作曲家のロッシーニの墓、ルネッサンスの理論的建築家レオン・バッティスタ・アルベルティの墓などがある。

 
レオン・バッティスタ・アルベルティの墓
 
マキアヴェッリの墓
 
ガリレオの墓
 
ミケランジェロの墓
 
広場にあるダンテの像
 
ダンテの記念碑

 この聖堂の前の広場「サンタ・クローチェ広場」にはダンテの銅像があり聖堂内にもお墓のような記念碑があるが、中に遺骨はない。ダンテの遺骨は彼が逝去した地であるラヴェンナにある。フィレンツェは追放したダンテが有名になったため彼がこのフィレンツェ出身の人であることを示すためにこのような記念碑を作った。


教会内部

 また、教会右の回廊の突き当たりには15世紀中頃建てられた「パッツィ家礼拝堂」がある。これはブルネッレスキの代表作と言われている。
  彩色テラコッタの装飾が美しいシンプルな礼拝堂で、全ての比例が正方形と正円を基準として作られていて美しいバランスを奏でている。彼の思想が端的に現れたフィレンツェのルネッサンス期の建築の最も優れたものである。


パッツィ礼拝堂